教育部 指導員
SINCE 2016
大学2年生の頃、地元の自動車学校に通っていましたが、免許を取るまでに9カ月もかかりました。当時はとにかく自動車学校に行くのが嫌で仕方ありませんでした。別に車に乗るのが好きなわけでもないし、長く休んでも指導員からとやかく言われることもない。そう思うと、ついさぼってしまうのでした。
そんな私が、どうしてミナミに入社することになったのか。説明会に参加して、ミナミの女性指導員の姿を見たときに一瞬で惚れこんだからです。「かっこいい!」と。憧れはどんどん強くなり、絶対に入社したいと思いました。
縁あって内定を受けたのは、私を入れて全部で13人。しかし、入社したとしても誰もがすぐに指導員になれるわけではなく、まずは教習所指導員資格を目指さなくてはなりません。正式に入社する前に、みんなで励ましあいつつ勉強に明け暮れました。そんななか、事件が起きたのです。
一番の仲良しだったアヤ(仮名)が、急きょ宮崎の小学校の教員として採用されることになりました。教壇に立つことは彼女の夢。他の同期は「やりたいことをやるべきだよ」と背中を押していました。でもさみしかった私は、どうしても応援することができませんでした。
結局、前向きな言葉をかけられないまま、アヤは宮崎に行ってしまいました。さみしさと後悔で勉強が手につかなくなった私を見かねて、上司が優しく声をかけてくれました。「もし受かったら、一緒に宮崎に行って報告しよう」。
その日から私の猛勉強がはじまりました。早く指導員として働くため、宮崎に行ってアヤに報告するため、毎日寝る間を惜しんで必死に勉強しました。そして結果発表の日、緊張していた私に上司は言ったのです。「おめでとう、よくがんばった」。新入社員が試験に一回で合格するのは、12年ぶりだったそうです。私はさっそく、上司と一緒に宮崎へ向かいました。
久しぶりに会ったアヤは、驚きながらも自分のことのように喜んでくれました。アヤがいなかったら、きっと私は合格することができなかった。そして憧れの指導員になることもできませんでした。
アヤの夢を応援できず後悔した気持ちと、そして夢に向かって進むわくわくした気持ちを忘れないために、今でも彼女の名札をいつも携帯しています。これからもっともっと指導員として、教習生やまわりの人の夢を応援していきます。
「就職なんて…」って半ばあきらめかけた時に、女神サマが現れました(笑)。人事部の榎本さん、指導員の龍さんに惚れ、憧れたからです。
とにかく温かい、というか熱い。落ち込んだり疲れたりした時、みんなが声をかけてくれます。「いや、もう大丈夫です」って思うくらい。そして、常に笑いがたえない!すごく 働きやすい会社です。
休みがあればお酒を飲みます。昼であっても関係ありません!オススメは男梅サワー片手に堅揚げポテト九州しょうゆ味を食べることです。